今話題の経産省資料について -官僚の立場から見るとここが面白い-
バズってますねぇ、経産省資料。
資料だけなら、経産省はこれまでも結構攻めた資料を作ってきているので、そこまで目新しいものでは無い気がするのですが、広報戦略がうまくいったのか、はたまた偶然なのか、今回の資料のバズりっぷりは近年稀に見る気がします。
中身論は、既に色々な人が意見を述べているので、ここでは割愛しようと思います。
そもそも「国のビジョン」に正解などあるはずがなく、ケチをつけようと思えばいくらでもつけれるわけですし、仮に国民全員が正しいと判断した政策であっても、本当に正しかったかは究極的には後世の判断に任せるしかないわけですし。
ここでは霞ヶ関の中の人として、中身論ではなく、経産省がこんな資料を公表したというプロセスの面から話をしてみようと思います。
一応、資料自体のURLも貼っときます
平成29年5月18日
第20回産業構造審議会総会
資料2 不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf
1. 発信主体が「官僚」だった
役所が方向性のあるメッセージを出したことがすごい、という声がいくつか聞こえますが、実際のところ、省庁が公表する資料の多くは全て、「何かしらの方向性を持って」います。「方向性がある」ことは目新しいことではないのです。では何が新しかったのか。
それは、発信主体が「官僚」だったことにあります。
少し詳しい人ならすぐピンとくると思いますが、
基本的に、省庁が公表する資料は「会議体」という仕組みを使います。
選挙で選ばれているわけではない官僚が強いメッセージを発するといろんな人に怒られてしまうため、有識者を集めて会議を開き、その有識者の見解として資料を公表し、そこにその省庁がやりたいメッセージを滲み込ませます。これが常套手段です。
ところが今回の資料は「私たちはこう思っています」と官僚自身が意見を発信したことが新しかったのですね。
確かに、「まだそんなこと言ってるのか」とか「人生の勝ち組に言われても共感できない」とか色々なご批判があるようですが、情報を発信することのメリットの一つは「レスポンスを知れる」ことがあります。
加えて、官僚というのはとにかく謎で「悪の権化」みたいに思われているところがあるので、正しいか誤っているかはともかく、その悪の権化が何を考えているのかを明らかにしたことは、非常に意味があったと思うのです。
2. わかりやすさと厳密性のトレードオフ
わかりやすさと厳密性は、究極のトレードオフにあります。
省庁が発表している資料を適当に検索して見てもらえればわかると思うのですが、ゴマ粒みたいな脚注(資料の下にある(注1)とかあるやつ)が大量に付いているはずです。
今回の経産省資料はほとんど脚注がありません。あっても出典を明記するという、最低限の注釈だけです。
加えて、言葉遣いにおいても、厳密性に重きをおくかわかりやすさを重視するかで大きな違いがあります。
例えば、
「手厚い年金や医療も、必ずしも高齢者を幸せにしていない」
というフレーズがP.13に出てきますが、幸せの定義というのは非常に難しいものがあります。書けたとしても、国際機関等のレポートを引用するぐらいです。
ここで、よくある役所の資料の例を見てみましょう。
上記フレーズで言及されていた年金について、厚生労働省に設置されている社会保障審議会という「会議体」の中の、年金部会というところで提出された資料です。
「概要」の部分は法改正の中身なので多少毛色が異なりますが、一番上の箱の中に書かれているのが、目的(ビジョン)と、それを達成するための手段としてこの法案を作りました、という経緯が書かれています。
「制度の持続可能性」と「将来の世代の給付水準の確保」が目的である、ということがきっちりと定義されています。さらに、その二つだけが目的ではないということで、「等」の一文字もちゃんと書き込まれています。この「等」は役所の資料では超重要です。「等」だけで記事が一本書けそうです笑
経産省の資料を見た後でこれを見ると、わかりにく!と思ってしまうかもしれませんが、そもそも目的が違うのであって、どちらが良いとか悪いとかそういう話ではありません。
ご紹介した厚労省の資料は、法律改正のための資料であって、法律を変えるには曖昧な言葉遣いはご法度なのです。
例えば、「国民の幸せな老後を実現するために、○○等の措置を講ずる」なんて書いてしまうと、そもそも幸せってなんなんだ、その措置で国民は本当に幸せになるのか、といった終わりのない議論を巻き起こしてしまい、気がついたら国会が閉会してしまいます。
そういう理由で、役所の資料は見づらいことが多いのですが、これはそもそも「見せること」を目的としていないんですね。
一方、今回の経産省資料は、厳密性を二の次にして、わかりやすさ、魅せること、を目的として作ったことが面白いのでした。
3. 「経産省の強み」を最大限生かした資料である
逆説的ですが、まず私が言いたいことを簡単に申し上げると「直接の権限がないからこんな資料が作れる」のです。念のため言っておきますが、経産省をディスってるわけではありません。
これは、企業が経営戦略を練るために外部の戦略コンサルを雇うのと似ています。中の人はなかなか攻めたことができないのです。一方で、外の人(=コンサル)ができるのはあくまで提案するだけであって、実際に動くのは中の人なわけです。
経産省はこれを100%自覚した上でやっています。
例えば、同じフレーズでも、役所の名前を変えただけで、雰囲気が全然違うはずです。
経済産業省「手厚い年金や医療も、必ずしも高齢者を幸せにしていない」(資料P.13)
厚生労働省「手厚い年金や医療も、必ずしも高齢者を幸せにしていない」
財務省「手厚い年金や医療も、必ずしも高齢者を幸せにしていない」
おそらく厚労省が同じことをいうと、日頃おつきあいのある業界団体から担当課長のところに電話が入ったり(いや、今回もあったかもしれない)、日比谷公園側の道路はデモで賑やかになることでしょう。そもそも、それお前らの政策だろ、っていうツッコミが多発するのは間違いなしです。
財務省が同じことを言うと「財務省は増税だけして年金も医療もカットしようとしている」という声が巻き起こり、次官宛に物騒なものが届いてしまうことでしょう。
そしてそもそも、そういった声を懸念するがために、このようなフレーズは世間の陽の目を見ることなくお蔵入りとなるのです。
経産省は権限がないからダメだ、なんてことを言っているわけではありません。そこが一番の強みでもあるわけです。
4. 次は具体策を考えるフェイズである
さて、資料を作った人たちの権限が無いとなると、実際に法令を所管していたりお財布を握っている他の省庁の協力が必要になってきます。また、3.でも言及した通り、この資料から具体的な策を導き出すことはできません。
そうなると、仮にこれを実現するとなると、より具体的な方策に落とし込み、かつ、制度を所管する省庁と連携して話を進めていく必要があります。もちろん、業界団体や既得権益を持っている人たちの説得も必須です。
結局、世の中を変えるためには、具体的な実行策が大事なんですね。
なんでもいいんですけど、例えば「イノベーション25」という、以前の安倍政権時代に出された資料の中に、「「出る杭」を伸ばす等人材育成が最重要 」というフレーズが出てきます。
http://www.cao.go.jp/innovation/action/conference/minutes/minute_cabinet/kakugi1-1.pdf
そもそも、こんなふわっとしたフレーズにすら「等」を使って読みづらくしているあたり、役所の資料だなぁという感じが満載ですが、この資料が出されてから既に10年近く立ちつつありますが、じゃあ出る杭は伸びてきたのかというと、そんなに変わらない気もするし、出る杭を伸ばす政策って何よ、という気がします。
こういった「ビジョンを打ち出す」系の資料は、実現されない度が半端なく高いです。加えて、変に「実現する」ことを重視しすぎて、何もできていないだろという批判を避けるために、とりあえず予算を使って適当な事業を実施して「実現したことにする」とかいう本末転倒な事案も発生します。
一番最初にリンクを貼った記事でも下記の通り言及されていますが、
具体的な施策はあまり書かれていないが、「そうするとそればかりにフォーカスが当てられ、当初の目的である『問題意識の投げかけ』が薄れてしまうと思い、あえて『回答』は出しませんでした」との意図だ。同時に「今後多方面から意見が出ると思いますので、それらを踏まえて改めて具体的な施策づくりを含めた議論につなげたいと思っています」との展望を話していた。
霞ヶ関の仕事はやはり具体的な策に落とし込んでそれを実行していく、というところにあると思っています。魂は細部に宿ります。
しかしその過程においては様々な意見が必要になってくるので、このような形で声を拾おうとするそのプロセスは非常に面白いと思いますし、いいことなんじゃないかなと思っています。
<おことわり>
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また正確性を一義的な目的とはしていないため、事実であるかどうかの裏づけを得ていない情報に基づく発信や不確かな内容の発信が含まれる可能性があります。
(参考:総務省 『国家公務員のソーシャルメディアの私的利用に当たって』 H25.6.28)