「リベラル」という単語がわかりづらい。 大事なのは税金の使い道では。
選挙戦、興味深く見ています。
対立軸が少しずつ固まってきて、議論の枠組みもわかりやすくなってきました。
が、気になる点が一つ。
政治というよりむしろ報道の問題かもしれませんが、
意外と知らない用語が当たり前のように使われていて、ついていけない
ってことないでしょうか。
ネットの記事なら、わからない単語が出てきた瞬間にググって調べるということができますが、テレビのニュースだとなかなかそういったことができないので(もちろん、スマフォ片手にテレビを見る人もいると思いますが)、実はいまいち中身がよくわからないままニュースが終わってるってことよくあると思います。
今回の選挙戦では、そもそも、党名である立憲民主党の「立憲」の意味が、一部ネットで「改憲」に取り違えられる流れがあって、公式がわざわざ下記の漫画を紹介するなんていうシーンすらありました。
さて、そのわかりづらい用語の代表格が「リベラル」と「保守」だと思います。
リベラル派が立憲民主党に結集
リベラル派は排除
寛容な改革保守
といった見出しが連日各紙を賑わせていますが、これを見て、ふむふむなるほどと理解できる人はかなり限られている気がします。少なくとも私はよくわからないことが多いです(それで良いのか)。
- 1. 英単語liberalがもつ本来の意味
- 2. 自由とは、「何からの」自由なのかが大事
- 3. (今の)リベラル=自由競争・市場主義ではない
- 5. リベラルっていう単語を使うのはやめた方がいい
- 6. 本質は税率の高低ではなくて、税金の使いみち
1. 英単語liberalがもつ本来の意味
liberalというのはそもそも「自由」とか「解放」とかそういう概念を意味する言葉です。同じ語源を持っているLibertyが使われている、"Statue of Liberty"は「自由の女神」ですし、西アフリカにあるリベリアLiberia共和国は、解放された奴隷によって作られた国なのでそういう名前になりました。
今調べて知ったんですが、これらの単語の語源はラテン語Liber(自由な)らしいです。
まぁ要するに、「自由」という意味なわけです。
実際、liberalをオーソドックスに訳すと「自由主義」になります。
そういえば「自由民主党」の英訳も、Liberal Democratic Partyです。確かに、自由の訳語としてLiberalを使っています。
あれ、その自民党の対抗軸である立憲民主党がリベラルなんじゃなかったでしたっけ? なんだかややこしくなってきましたね。
2. 自由とは、「何からの」自由なのかが大事
よく考えてみると、自由という言葉を使うときは、
「○○からの自由」という風に使うことが多いはずです。つまり、我々の自由を制限する何かがあって、それから解放されるわけですね。
「王政からの自由」(革命)
「親からの自由」(一人暮らし)
「この支配からの卒業(自由)」(学校の支配から脱出)
あるいは、中高の政治経済で憲法を勉強した時に「表現の自由」とか「思想・良心の自由」とかやりましたけども、それは「国家からそれらの権利を制限されない自由」なわけですね。自由というのは、自分以外の者(国とか親とか学校とか)に対する概念なのです。この世界に自分しかいなければ、自由という概念は生まれないでしょう。自由なのは自明なんだから。
3. (今の)リベラル=自由競争・市場主義ではない
まだ私が政治に疎かった時代に勘違いしていたのですが、
自由というとどうも「自由競争・市場主義」をイメージしてしまっていたのです。この場合の自由というのは「国家権力による各種規制からの自由」ですね。いわゆる「小さな政府」というやつです。「経済の自由」「所有の自由」を目指したらそうなりますよね。
しかしここが落とし穴でして、(現在の)日本の政治における「リベラル」というのはむしろ逆で、ざっくり言うと「大きな政府」を目指す発想です。
4. 日本の今のリベラル = 格差からの自由 (積極的自由、実質的自由)
多分、さらりと歴史に目を向けた方がいいのだと思います。さらりと行きます。
昔、イギリスでは王が人民を支配してたわけですが、そもそも人間は自由である権利を持ってるんだから、王が俺らを支配してるのはおかしい、といって革命を起こすわけですね。この流れはフランスにも伝播します。
さらに、当時の経済学と結びついて、市場主義が生まれました。
アダムスミスの神の見えざる手、とか、高校の政治経済の授業でやったんじゃないでしょうか。
この時代は、
リベラル = 王からの自由、市場経済
です。
ただそのうちに、市場に任せておいた結果、格差が生まれてしまいました。
自由っちゃ自由なのですが、金持ちの子は金持ちで、貧乏人の子は貧乏であると。貧乏な子はやれることも限られています。
これって、実は自由じゃなくね? 本当の自由を実現するためには、むしろ国家権力が介入して富の再配分をした方がよくね?
という発想が出てきました。そして今でもその思想を実現したいと思っている人が、(今の)リベラル派です。
リベラル = 格差からの自由
ですね。
5. リベラルっていう単語を使うのはやめた方がいい
いずれにせよ、この「リベラル」という言葉は非常にわかりづらいです。
この記事でも厳密な説明は回避してますし、やろうと思うとそれこそ専門書をちゃんと読んで、まず歴史から紐解かないといけない。
なので、そんな難解な単語を、国民全員を巻き込んだ選挙戦において使うのはやめたほうがいいと思います。抽象的だし、誤解を生みやすいし、きちんと理解している人少ないだろうし。
この問題の根幹は、「自由」という言葉が多義的すぎるのだと思うのです。「規制からの自由」なら国は何もしない方がいいけど、「格差からの自由」ならむしろ国は色々やった方がいいわけです。
「言論の自由」はものすごく大事で、特に現政権に対してその面から批判を加えている人はいて、それは真摯に受け止めるべきですが、言論の自由と経済政策は土俵が異なるので、それを混同させがちな「リベラル」という言葉はむしろ混乱を招くと思うのです。
経済社会政策について「リベラルという言葉はわかりづらいからやめたほうがいい」と私が言ったときに、「お前は言論の自由を奪いたいのか、政府の犬め」と言われても、議論が噛み合ってないじゃないですか。でもこういうすれ違いって至る所で起こってる気がするのです。
少なくとも、経済政策、社会政策を語るときには、
大きな政府 = 税金上がるけど国のサービス濃厚
小さな政府 = 税金安いけどそのぶん自助努力が必要
っていう対立軸の方がわかりやすいと思うのですが。
6. 本質は税率の高低ではなくて、税金の使いみち
ただし、日本が置かれている環境が簡単ではないのは、
幸いなことに国債金利が依然として低位安定している(=安く借金できる)ので、
税金上げてサービス濃厚 vs 税金下げてもサービス濃厚(そして借金王)
という戦いになってしまうということです。
本来であれば国のサービスの対価として税金があるはずなのに、国債発行で賄えてしまっているので(※)、幸いなことにそういった対立構造を作るのは難しいのが現状です。
そりゃ同じサービスなら税金低い方がいいですよね。
よって、日本における内政(外交・安全保障はまた別の話です)の骨太の議論の本質は、税率の高低ではなくて、
そろそろ借金をちゃんと返していかないと vs まだまだ借金できるでしょ
という、対立軸のはずです。
しかし、この議論は非常に難しい。なんせ、経済学の権威の間でも未だに結論は出ていないのですから。私を含む有権者が自分だけでこれを判断するのは厳しいです。
なので、
税率上げるなら、なぜ上げないといけないのか(何に使いたいのか)
税率上げないなら、なぜ上げなくても大丈夫なのか(社会保障とか)
という根拠を、今後の選挙戦でわかりやすく議論してほしいなぁと思います。
やっぱり究極的な論点は、税金の使い道だと思いますし、それが気になってる人が多いと思うのですよ。
あっちは保守だけどこっちはリベラルであっちもリベラルだから共闘がどうで首班指名はどうとか、そういう話ではなくて。聞いててもよくわからないもの、リベラルとか保守とか。
あと、右とか左とかも難しいですよね・・・。これは気が向いたらまた。
(※)国のサービスの対価として税金があるはずなのに、国債発行で賄えてしまっているので
経済学・財政学の世界では、「バローの中立命題」という有名な命題がありまして、
「国民は、子・孫世代のことも考えて合理的に行動しているので、今時点で税率を下げて(=代わりに国債を発行して)も、将来その借金を返済するために政府が増税することを予想し、子・孫世代のために預金を増やす」
=つまり、国民は、現在の減税政策で消費を増やすことはない
という内容です。
「合理的に行動」するのって難しいですよね笑
なお、最先端の経済学(主に行動経済学)ではむしろ、人間は合理的でないことを解き明かすのが流行ってたりしますので、興味のある人は勉強してみてください。
<おことわり>
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(参考:総務省 『国家公務員のソーシャルメディアの私的利用に当たって』 H25.6.28)
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