ポンチ絵とは 〜なぜ省庁の資料は見づらいのか〜
気がついたら1ヶ月ぐらいブログ更新をサボっていて宜しくないので、サボりぐせを克服するために、さらりと書いてみます。
いろんなブロガーさんのブログを見たりするのですが、短くてもいいから数で勝負するのも大事なんだなと。
今日は、「なぜ省庁の資料は見づらいんだ」という話です。
むしろポンチ絵って一般的な用語なんですか? 同業者さんかな・・・?
— おおくぼやまと@霞ヶ関 (@okubo_yamato) 2018年4月27日
私そこかなり興味あるのですよね
ポンチ絵というのは、パワポで作られた概要書のことです
初耳の方は
「ポンチ絵 ○○省」
で画像検索して頂くとイメージ湧くと思います
(続く) #peing #質問箱 https://t.co/0iKIuGJcIZ pic.twitter.com/JiXPMRVxfE
というご質問が発端だったのですが、省庁の資料が見づらいぞ、というご批判をとにかくよく頂戴するのです。
例えばとある論点が話題になった時に「ここのデータをご覧ください」とか「ここに閣議決定文が引用してございますが」とか、そういう使い方をされることが多いんです。
— おおくぼやまと@霞ヶ関 (@okubo_yamato) 2018年4月27日
なので、見やすさよりも「情報の網羅性」「厳密性(注がやたら増えるのはそのせい)」が求められてしまうのです。
(続く)
なので、「営業のプレゼン」とはそもそも目的が全然異なるのですね。
— おおくぼやまと@霞ヶ関 (@okubo_yamato) 2018年4月27日
「資料集」みたいな感じなんです。
一方で、皆様にご興味を持って頂いて議論中の政策について調べてくださってもこのポンチ絵ぐらいしかヒットせず、「はぁ?これ見辛すぎ…」となってしまうのは勿体ないと思うのです
(続く)
長くなりましたが
— おおくぼやまと@霞ヶ関 (@okubo_yamato) 2018年4月27日
既存のポンチ絵はそれ特有の役割を一定程度果たしている気がするので、それを改革するというよりは
役所が保有する情報に対するニーズを持つ人は多様であることを認識し、それぞれに応じた情報発信を模索するのが王道な気がしています
勿論、既存のやつもより見やすくしたいですね
と、呟かせて頂いたのですが、「資料集」的になってしまうのは他にも理由があるのですね。
我々官僚は、ひたすら根回しをしたりします。
(個人的には、この根回し文化はやめた方が国のためになるんじゃねーのかなとか思ってるのですが、それはまた別の話にしましょう)
あるいは、議員から説明を求められたりします。
で、こういうアポイントが急に入るのですね。
「1時間後に議員会館に来て説明してください」
とか言われるわけです。
そうなると、その議員(あるいは説明する相手)に合わせた資料を作る余裕は全くありません。なので、何が起こるかというと、「全ての情報が詰まっている資料集をとりあえず持っていって、現場で、相手の興味関心に応じて使うページを即座に考える」という作業が必要になるのです。
なので、「資料集」的要素が大事なのですね。
実際、「ポンチ絵集」を一度作ってしまうと非常に便利なのは事実です。
どこへ行くにしても、とりあえずそれを持っていけばいいのですから。
ただ、要は、「その資料のどこに何が書いてあるかを全て把握した人」が、「現場で相手の興味関心に応じて参照する箇所を臨機応変に変えながら説明していく」というテクニックを駆使して初めてその資料が生きてくるわけでして、
初見でポンチ絵集(審議会の資料とかです)を見た人が、読みづらすぎ!、となるのは当たり前な気がします。
なので、上記ツイートにも書きましたが、
○前提知識がない人がさっと見ただけで概要がわかる資料
を作る重要性はあると思いますし、
あるいは、既に作っている時もあるのですが、それにアクセスするのが難しい(見つけづらい)ことが多々あるので、
○情報発信の重要性
は日に日に高まっていると思うのです。
Twitterやってます。
質問箱もあります。匿名で質問できます。そのせいで誹謗中傷もたくさんいただきます笑 負けないぞー。Twitterでお答えしています。
<おことわり>
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